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第一部の終わりに(1)

 結婚したい、とナツヨに告げた時、僕は満足感に浸っていたのだけど、今はあんな風に結婚を口にしたことを後悔している。なぜ、もう少し形式を踏んで言わなかったのか。たとえば、レストランとか、景色のいい場所とか、思い出の場所とか、そういった雰囲気のある場所で、指輪でも用意して。

 もちろん、プロポーズはこうしなければならない、という決まりはないだろう。もし結婚に成功していれば、こんな形でプロポーズをしたことも良かったと思うのだ。僕らしいといえば僕らしいプロポーズだったし、ナツヨはこの時は本当に喜んでいた。

 でも、僕は結婚に失敗してしまった。

 プロポーズをちゃんとしたら結婚できていた、と思っているわけではない。ただ、こういった形でナツヨに結婚したいと言ったことに代表される僕の脇の甘さが情けないのだ。

 さて、ここで第一部は終わりである。ナツヨとの出会いからはじまり、プロポーズするまでを綴ってきた。はじめは二ヶ月くらいでここまでたどり着くと思っていたけれど、それよりもずっと長くなってしまった。長い文章なんて書いたことがなかったので、まったく制御できなかったのだ。

 これだけ長く書いていてきたけれど、まだ書き足りない。できるだけエピソードを選りすぐって、僕とナツヨの恋愛が十分に表現できるようにしたつもりだけど、でも、足りないのだ。今ざっと読み返してみて、僕とナツヨの恋愛はこんなに薄っぺらいものではなかったと思っている。まだ書いておきたいことが山のように残っている。

 とはいえ、これ以上書いても仕方ない、とも思う。どんなに書いても書き足りないと僕は思うことだろう。だから、どこかで線を引かなければならない。

 それに、読んでくれる人に伝わるように書くことも大事だと思っている。僕はナツヨへの思いを断ち切る目的でこのブログを書いている。その上で、このブログが人に読まれていると意識することで、その目的がより達成しやすくなる気がしている。だから、読んでもらう人に呆れられないように、飽きられないようしたいと思っている。でも、どうだろう。もうすでに長すぎるのではないだろうか。
# by blgmthk | 2005-07-28 23:59 | 第一部の終わりに

旅の後(6)

 あまりにもナツヨの答えがあっさりしていたので、僕は心配になった。僕の気持ちが伝わっていないのではないだろうか。確かにすでにナツヨと結婚したい、ということは、けんかしたときに言ってある。それの確認程度にしか思っていないのだろう。

 僕はもう一度ナツヨに言った。
「結婚しようね。」
「うん?うん。」
最初の、「うん?」は、語尾が上がる疑問の言葉で、次の「うん。」は同意だ。ナツヨは僕の胸に埋めていた顔を上げた。ちょっと不審げな顔をしている。どうしていまさらこんなことを言うのだろう、と思っているみたいだ。

 僕はもう一度、ナツヨをぎゅっと抱きしめて言った。
「結婚しよう。」
ナツヨは黙った。僕はナツヨをじっと抱きしめている。

 ナツヨは僕の顔を見て言った。
「いつ結婚する?」
おそるおそる、という感じだ。声がかすかに震えている。

 急に時期を聞かれて、僕は答えられなかった。ナツヨに聞いてみる。
「いつがいいかな?」
「来年の終わりくらい?」
来年の終わり?今は一月だ。来年の終わりだと二年くらい先になる。結婚にはどのくらいの時間がかかるのだろうか。そんなにおいそれとできるものじゃないと思うけど、でも、二年も掛けるつもりはない。
「ううん、そんな先じゃないよ。」
「じゃあ、いつ?いつなの?」
ナツヨの声はおぼつかなげだ。そして、すこし鼻にかかっている。
「そうだね、できたら今年中にしたいな。」
「ほんとに?できるかな?」
ナツヨの瞳はうるんでいる。そして、その瞳は僕の顔をじっと見つめていた。不安げな、でも、それだけじゃない、いろいろ複雑な感情が交じった視線が僕に注がれている。
「うーん、どうだろう。」
結婚のことはよくわからないので、こう改まって聞かれるとなんとも答えにくい。だけど、進むしかないだろう。
「結婚までいろいろなことがあると思うんだ。だから、どのくらいかかるかわからないけど、でも、がんばるよ。今年中、大丈夫だと思う。できるだけ早く結婚しよう。」
「うれしい。」
ナツヨは僕の身体にしがみつくように腕を回し、ぎゅっと力を込めた。そして、ふたたび僕の胸に顔を埋めた。しばらくそのままでいたけれど、小刻みに肩がふるえ始めた。嗚咽が聞こえる。暖かい涙が僕の胸に感じられた。

 僕はナツヨのふるえる背中をなでながら、喜びに浸っていた。けんかしたときにも結婚したいと言っていた。でも、今度はあのときとは違う。あのときは、ある意味、追いつめられての言葉だった。だけど、今度は本当に自分の意志からの言葉だ。僕にとって、ナツヨは生まれてはじめて結婚したいと思った女性だ。そして、その女性に結婚したい、と告げることができた。彼女は僕の言葉を喜んで受け止めてくれた。なんて幸せなことだろう。

 ナツヨは僕の腕の中で泣きながら思いを語ってくれた。
「一緒にいてくれるだけでいいと思ってたの。結婚してくれるなんて、思っていなかった。だから、このままでいてくれたらそれでいいと思っていたの。私、ツユヒコさんのこと、本当に好きだったから、一緒にいるだけで幸せだった。」
言葉のあいだあいだに嗚咽が混ざる。
「でも、うれしい。結婚しよう、って言ってくれてありがとう。私を選んでくれて、ありがとう。」
ナツヨはありがとうを繰り返す。不安に思っていたのだと思う。僕は、結婚したいと思っている、とは言っていた。でも、いろいろ理由を付けて、まだ結婚はできない、とも言った。一緒にいるだけでいい、というのはナツヨの本心だっただろう。だけど、なかなか結婚、いう形でそれが確かなものにならない不安も大きかったのだと思う。

 僕もナツヨに感謝していた。出会ってから今までのことが思い出される。ナツヨとの間にはいろいろなことがあった。でも、どれもこれもすてきな出来事だった。そして、僕もナツヨが好きだったから、今まで一緒にいることができて本当に幸せだった。この先もナツヨと一緒に過ごしたい。

 ナツヨは泣き続けていた。腕の中で涙を流し続けるナツヨを感じながら、ぼくはナツヨをずっと守っていこう、と考えていた。そして、もう一度ぎゅっと抱きしめた。僕たち二人、しばらくそのままでいた。

 帰る時間だ。ナツヨは泣きやんでいた。まだまぶたがちょっとだけ腫れぼったいけれど、晴れがましい顔をしていた。
「今日はうれしかった。ありがとう。」
ナツヨは言った。
「こちらこそ、ありがとう。」
僕も言った。

 玄関を出るとき、ナツヨはもう一度僕に抱きついてキスをした。暖かいキスだった。そして、お休みなさい、といって、一月の、星の輝く夜空の下を帰っていった。

 この時が、僕とナツヨの一番幸せな時だったと思う。
# by blgmthk | 2005-07-27 23:48 | プロポーズへ(III)

旅の後(5)

 寄せ鍋のたれとして、ポン酢と紅葉おろし入りポン酢を用意した。僕はポン酢だけでいいと思っていたのだけど、ナツヨは紅葉おろしを主張した。だから、似たようなものを二つ用意したのだった。寄せ鍋に紅葉おろし?と最初僕は思った。その思いが顔にでたのか、ナツヨはちょっと居心地の悪そうな顔をしている。私って変だと思われているのかなぁ、といった顔だ。どうだろうか。この後僕の周りの人に聞いてみたら、寄せ鍋に紅葉おろしは絶対、という人もいた。でも、あそこまで赤い紅葉おろしはないだろう、と僕は思う。

 だけど、食べてみるとおいしかったのだ。ポン酢だけでもおいしかったけど、紅葉おろしの方は、その凶悪な赤さに応じた刺激を与えてくれた。これがまた良かった。鱈も白菜も春菊もエノキも、普段と違う辛みで食べることができた。辛い、という意味ではチゲ鍋を思わせるけど、でもあくまで紅葉おろし。コチュジャンの濃厚さとは違い、さっぱりとした辛みが鍋の魚介の旨味がでた出し、ポン酢の酸味とあわさりおいしかった。ナツヨと過ごしていると、いろんな発見がある。

 鍋を食べながら、テレビをつけていた。でも、僕たちは鍋に夢中になりすぎたみたいだ。
「あれ?もうすぐおわるよね、このドラマ。」
ナツヨが言った。
「そうだよ。 R さん、出てた?」
僕が聞く。R さん、というのがナツヨの友達だ。
「ううん、出てなかったと思う。」
ドラマは終わってしまった。結局 R さんは見つからなかった。鍋を食べ終え、ドラマの終わりを見届けた僕たちは、でも、R さんを見逃したことなど反省せずに、唐辛子ですこしひりひりする口でキスをした。そして、ベットに移って抱き合った。

 抱き合った後、隣に寝ているナツヨの息づかいを感じながら、僕はこれまでに考えていたことをもう一度考えていた。
「ねえ、ほにゃ、やって。」
ナツヨのお願いだ。僕はほにゃって歌ってあげた。ナツヨがくすくす笑う。僕はナツヨを抱きしめ、ほにゃほにゃ言いながら、頭の中ではいろいろ考える。
「ねえ。」
僕は腕の中のナツヨに言った。
「うん?なに?」
ナツヨは聞いてきた。

 ほんの短い間に、僕の中でいろいろな考えが渦巻いた。その中から、ある決心が浮かび上がってきた。いや、決心というのとも違う気がする。そんなに大したものではない。僕の中での自然な気持ちを口にするだけなのだから。ただ、やっぱり口に出すとなると、いろいろな葛藤があるものだ。

 今言うべきだろうか、それとも、もっと待つべきだろうか。まだまだ心の中ではいろいろな思いが渦巻いていたけれど、でも、僕は言った。
「結婚しようね。」
ナツヨは言った。
「うん。」
その答えはあまりにもあっさりしていた。
# by blgmthk | 2005-07-26 23:50 | プロポーズへ(III)

旅の後(4)

 日曜日にスキーから帰ってきてから、僕はいろいろなことを考えていた。その間にもナツヨとメールのやりとりをして、次のデートの約束をした。木曜日に会って、鍋をつつこう、ということになった。
「私の友達がドラマにでたの。」
ナツヨがメールに書いていた。
「出たといっても、エキストラなんだけどね。」
だから家でテレビを見ながら鍋をつつこう、ということになったのだ。

 一月の寒い日だった。そこで、帰りに横浜駅で待ち合わせて、買い物をした。鱈、ホタテ、白子、白菜、春菊、ポン酢、ポン酢はちょっと高めの生絞りとやらを買った。大根、エノキ、おじや用に卵、そのほかに少しお総菜と、デザート。東急ストアでカセットコンロ用のガスボンベも買っておく。

 食べ物のいっぱい入ったビニール袋を両手に下げて、僕の家にたどり着いた。暖房の効きの悪い部屋だけど、精一杯エアコンを回し、ホットカーペットのつまみを一番暖かいところにして、その上に分厚いこたつ布団を掛けたテーブルを乗せた。最初に熱いお茶を入れ、暖まる。一度こたつにはいると出られなくなりそうだったけど、強い意志を持って這い出し、料理開始だ。

 寄せ鍋だから、材料を切って皿に並べるのが主な作業になる。僕が材料を切る。ナツヨは鍋に水を張り、昆布を放り込んでから、僕に下ろし金と鷹の爪のありかを聞いてきた。

 切った材料を適当に、というか、雑然と皿に並べ、テーブルに持っていくと、ナツヨは大根に唐辛子を詰めて、紅葉おろしを作っていた。僕は言った。
「ねえ、唐辛子入れ過ぎじゃない?」
大根には穴がぽこぽこ空いていて、唐辛子が詰めてある。ナツヨはそれを下ろし金でごしごしと下ろしている。
「そうかな?おいしいよ。」
紅葉おろしは、僕の知っている紅葉とはちょっと異なる凶悪な赤さを呈していた。
# by blgmthk | 2005-07-25 23:54 | プロポーズへ(III)

旅の後(3)

 一方、僕自身の事情はどうだろうか。結婚に対する準備はできていただろうか。

 以前、ナツヨとけんかしたときに、僕はナツヨに結婚したい、と告げていた。でも、その時の僕は、今の職が不安定だから、もう少し待ってくれるように頼んでいる。リストラの噂が職場で流れていたからだ。だけど、それは解決した。勤務地こそ移動したけれど、少なくともここ数年は安定して仕事ができる状態になっていたのだ。だから、仕事の面では結婚の準備ができたと言って良いだろう。

 経済的にはどうか。年収は、自分ではまあ満足していた。もちろん欲を言えばきりがないけれど、でも、ナツヨがたとえ結婚退職して専業主婦になり、子供ができたとしても、経済的につらい思いをさせることはないだろう。そして、本を買ったり映画を見たりするくらいの趣味しかない僕には、金を使う当てがなく、就職してからあんまり時間はたっていないのだけど、そこそこ貯金があった。結婚資金がいくら必要なのか知らないけど、でも、同世代の人間に比べてもあまり遜色のない金額を貯めていたと思う。借金といえば大学時代の奨学金くらい。これも返し続けてはいるけれど、今すぐに全額返せ、と言われても返せるだけの貯金がすでにある。

 つらつら考えるに、僕自身について、結婚にあたり重大な問題になるようなことなさそうに思えた。学歴、健康状態、収入、勤め先などの外形的な条件はそんなに悪くない気がする。ナツヨのご両親がどんな人たちなのか知らないが、でも、けちはつけにくいだろう、と思った。それに、ナツヨを育てた親御さんだ、いい人たちで、僕を受け入れてくれるに決まっている、と僕は信じた。

 気がかりなのは、自分の親のことだった。特に母親だ。でも、気がかり、というだけで、母の何がどんな風に問題になるかなんて、想像がつかない。ナツヨと付き合ってから、一度だけ、母のことを鬱陶しい、と思うことがあったが、それだけだ。それに、基本的には母は僕のことを愛しているわけだから、ひどいことにはならないだろう、とも思っていた。だから、僕が抱いていたのは具体的な不安ではない。心の片隅の、なんだかもやもやとした不定形の、気がかり、と呼んでいいかどうかさえわからないような気持ちが僕の中にあっただけだ。あまり気にしても仕方ない、先に進むべきだ、とその時の僕は思った。

 あとはなにか考えておくべきことがあるだろうか。結婚を切り出しても大丈夫だろうか。北海道から帰ってきた僕は、ずっとそんなことを考え続けていた。
# by blgmthk | 2005-07-24 23:02 | プロポーズへ(III)